
会長挨拶
茂森津軽ネプタ愛好会
会長 横山 隆優
茂森津軽ネプタ愛好会は、おかげさまで2026年に発足60周年の節目を迎えました。
この長きにわたり、当愛好会を支えてくださった町内の皆様、近隣町会の皆様、そして全国の「茂森ファン」の皆様に、心より深く感謝申し上げます。
愛好会としての発足は60年前ですが、それ以前からも、ねぷたをこよなく愛する(ねぷたバカの)若者たちが集い、出陣を重ねてまいりました。当愛好会のルーツは、1722(享保7)年、津軽5代藩主・信寿公の時代にまで遡ります。「茂森町のネプタ」の歴史から数えれば、実に300余年もの伝統を今日まで継承してきたことになります。
それぞれの時代を生きる若者たちが集まり、ねぷたや山車を創り、酒を酌み交わしては熱く夢を語り合い、それを実行に移してきました。「自分たちが全力で楽しみ、見ている人々をも楽しませる」。ねぷた本体の構造が木から鉄筋へ変わり、照明が蝋燭から電球、そして蛍光灯からLEDへと時代と共に形を変えても、そこに流れる「茂森の心意気」は今も昔も決して変わりません。
過去には、台風による川の氾濫でねぷたが水没したり、放火の被害に遭ったりと、幾多の苦難もありました。しかし、どのような逆境にあっても会員が固く団結し、必ずや出陣を果たしてきました。それほどまでに、私たちはねぷたへの強い想いを抱き続けている団体です。
現在では、初日に地元消防団「茂組(西第一分団)」の皆様に先導していただくことが恒例となっています。また、5日目には大人も子どもも思い思いの仮装や化粧で運行を盛り上げ、6日目の駅前コース終盤(大町付近)では、ねぷた本体の「開き」の牡丹をその場で切り取って沿道の皆様へプレゼントしております。運行期間中にねぷたカレンダーやペーパークラフトを配布するなど、ファンサービスと弘前ねぷたの振興には一切の余念がありません。
運行に参加する会員の熱気、綱を引く子どもたちの元気な掛け声、お腹に響く太鼓の音、哀調を帯びた笛の音、そして妙に気合の入ったご婦人方の姿――。誰もが最高の笑顔で出陣していきます。
毎年、そんな「勢い」のある茂森のねぷたバカたちが全力で祭りを生み出すからこそ、観客の皆様にも楽しんでいただけるのだと信じております。そして私たちは、その喜びを糧にまた次の杯を交わすのです。
これからも地域と共に歩み、熱く燃え続ける「茂森津軽ネプタ愛好会」を、どうぞよろしくお願いいたします。
【寄稿】発足六十周年の節目を迎えて ―― 三百余年紡いだ茂森の心意気
2026/9/5
茂森津軽ネプタ愛好会
会長 横山 隆優
茂森津軽ネプタ愛好会は、2026年をもちまして、めでたく発足六十周年の大きな節目を迎えることができました。この記念すべき年を無事に迎えることができましたのは、ひとえに当愛好会を長年支えてくださった町内の皆様、近隣町会の皆様、そして全国の「茂森ファン」の皆様の温かいご支援とご協力の賜物であり、心より深く感謝申し上げます。
当愛好会の歩みは六十年ですが、その根底に流れる血脈はさらに深く、今から三百余年前の1722(享保七)年、津軽五代藩主・信寿公の時代にまで遡ります。「茂森町のネプタ」としてお殿様に上覧されたという栄誉ある歴史は、私たちが纏う半纏の背に据えられた津軽家の家紋「津軽牡丹」とともに、今日まで誇り高く受け継がれてまいりました。
この三百年以上の歴史の中で、それぞれの時代を修羅場のごとく駆け抜けた「ねぷたバカ」の若者たちがいました。木から鉄筋へ、蝋燭から電球・蛍光灯、LEDへと、時代と共にねぷたの形は変われど、「自分たちが全力で楽しみ、見ている人々をも楽しませる」という茂森の魂は一歩も退いていません。過去には台風による水没や、放火による火災、まつり期間中の漏電による本体発電機入替という絶望的な苦難もありました。しかし、その度に会員は固く団結し、必ずや出陣を果たしてきたのです。
こうした茂森の男気と泥臭くも美しい美学は、弘前ねぷた参加団体の中で唯一、私たちが保有する「愛好会会歌」に見事に歌い上げられています。
『雨に濡れたら 心にかつげ / 金がなければ 度胸で行けよ』
直会の席などで今も generations を超えて歌い継がれるこの会歌の一節こそ、茂森の生き様そのものです。金はなくとも度胸と心意気でねぷたを担ぎ、岩木山に夕陽が落ちれば、五百年の歴史を誇る禅林街の入り口に男たちの二本ばちが轟く。この五番まである会歌は、私たちの最高の教科書であり、誇りであります。
現在、初日を先導してくださる地元消防団「茂組」の皆様の勇姿、五日目の仮装運行、そして六日目の駅前コース終盤でねぷた本体の「開き」の牡丹をその場で切り取って沿道の皆様へ贈る伝統行事。これらすべての活動は、会歌の結びに紡がれている精神から生まれています。
『 固いちぎりの ホラ話 / ホラにホラが 重なり合って / 出来るネプタの 愛好会』
酒を酌み交わし、一見実現不可能に思えるような大ホラを吹き合い、それを男の約束(固いちぎり)として本気で実行に移していく。これこそが、見ている人を熱狂させる「勢い」の源泉であり、茂森津軽ネプタ愛好会の真髄です。
発足六十周年という節目は、通過点に過ぎません。伝統の重みをしっかりと次世代の子供たちへ繋ぎ、哀調しのばせる笛の音と、心に轟く太鼓の響きを、この茂森の地に永劫に鳴り響かせることをここに誓います。
次の七十周年、そしてその先へと向かい、来年もまた最高の仲間たちと共に「ヤーヤドー」の声を響かせ、出陣してまいりましょう。今後とも変わらぬご指導とご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
祝・茂森津軽ネプタ愛好会 創立60周年を迎えて
2026/9/5
ネプタ絵師 山谷 寿華
茂森津軽ネプタ愛好会が創立60周年という輝かしい節目を迎えられましたことを、心よりお祝い申し上げます。長きにわたり弘前ねぷたまつりの伝統を守り、地域を照らし続けてこられた歴代の役員、会員、そして地域の皆様の情熱とたゆまぬご努力に、深く敬意を表します。
この記念すべき節目に、同会のネプタ絵を手掛ける絵師として一言寄稿させていただけますことは、大変光栄であり、身の引き締まる思いです。
振り返れば、私が茂森津軽ネプタ愛好会のネプタ絵を担当させていただくようになったのは2003年のことでした。それ以来、今日に至るまで長きにわたり、毎年のねぷたに筆を振るう機会をいただき、感謝の念に堪えません。私自身の絵師としての歩みは、常に茂森の皆様と共にありました。会員の皆様が一体となって運行を支え、囃子が響き、地元の子供から大人までが笑顔でねぷたを引く。その「熱気」と「絆」があって初めて、私の描いた絵に本当の命が吹き込まれるのだと、毎年運行のたびに強く実感しております。伝統の重みを感じながらも、常に温かく私の筆を迎えてくださる皆様の存在は、絵師としての最大の支えであり、原動力です。
60年という節目は、これまでの輝かしい歩みを振り返ると同時に、次の時代へと伝統を繋ぐ新たな出発点でもあります。20年以上の年月を共に歩ませていただいた誇りを胸に、これからも茂森ならではの運行の勢いと美しさに引けを取らない、観る人の心を揺さぶるネプタ絵を描き続け、会の発展に少しでも貢献できるよう、より一層精進してまいる所存です。
結びに、茂森津軽ネプタ愛好会の今後ますますのご発展と、会員の皆様のご健勝、ご多幸を心より祈念申し上げ、お祝いの言葉といたします。【寄稿】茂森津軽ネプタ愛好会60周年に寄せて
2026/9/5 茂森津軽ネプタ愛好会
理事 三上 英樹
まずは日ごろから当愛好会の活動につきまして、格別のご理解とご支援を賜っております茂森町町会、消防団茂組、茂森門前商店街、禅林町会、西茂森町会、在相町会をはじめ、ご協賛各社の皆様に、おかげさまで60周年を迎えられましたことを会員一同より深く感謝申し上げます。茂森津軽ネプタ愛好会60周年に際し、これまでの歩みをご紹介させていただければと思います。
1.
300年以上前の最古の記録に登場
弘前ねぷたが歴史上の文献に初めて登場したのは、1722(享保7)年の弘前藩庁「御国日記」です。5代藩主・津軽信寿(のぶひさ)がねぷた(当時は「祢むた流」)を高覧した際、町ごとの運行順が記録されました。その際、茂森町は「三番
茂森町」として出陣しており、祭りの黎明期から城下町を代表する主要な運行団体であったことが証明されています。
2. 藩政時代の背景:商家街としてのプライド
茂森町は、弘前藩の4代藩主・津軽信政の時代に大きく発展した歴史ある商家街です。
1691(元禄4)年、津軽信政によって、民衆の道徳倫理を育てるための常設芝居小屋「茂森座(当時は広居座)」が茂森町に建てられました(1691年4月8日開場、昭和7年廃業)。これにより茂森町は、江戸や京都から役者が集まる興行の中心地となり、「芸能の町」としての誇りを育んできました。芝居や歌舞伎に最も縁の深い演目が選ばれてきたのも、こうした背景によるものです。
当時のねぷたは、町民たちの経済力やプライドの象徴でもありました。茂森町は豊かな商人たちの力を背景に、古くから立派なねぷたを仕立てて祭りを盛り上げてきました。結成60周年を迎えた2026年夏の弘前ねぷたまつりにおいて、当愛好会は町のルーツに改めてスポットを当て、津軽信政公をテーマとしたねぷたを制作いたしました。鏡絵には「津軽信政、蝦夷地への出陣に備える」を、そして見送り絵には、まさにこの地のルーツである「茂森座」を舞台に華々しく舞い踊る花魁の姿を描き出しています。300年以上が経過した現在も、茂森町の人々にとって津軽信政は町のアイデンティティとして深くリスペクトされており、その歴史的由緒への誇りが今も色褪せることなく受け継がれています。
3.
市内最古の愛好会組織「茂森津軽ネプタ愛好会」
現在の合同運行は戦後に定着したものですが、それ以前の町会単位の熱気を受け継ぎ、1966(昭和41)年にわずか28名で結成されたのが「茂森津軽ネプタ愛好会」です。現在の半纏が作られたのが1973(昭和48)年、それ以前は揃いの浴衣が1969(昭和44)年に完成していますが、「5代藩主信寿公の時代から、津軽家のお膝元で300年ねぷたの伝統を繋いできた誇り高き『ねぷたバカ』の血統、ねぷたの正統な伝統文化を最も古くから継承している」という強い自負」を表現するために、半纏の背中に「津軽牡丹」が力強く据えられているのだと推察されます。
当会は、弘前市内のねぷた愛好会組織として最も長い歴史を誇り、2026年の今年、結成60周年の大きな節目を迎えました。この記念すべき年に、新会長として横山隆優氏が就任し、次の時代へと魂をつなぐ新たな体制がスタートしております。
4.
伝統の継承と「ねぷたの灯」
近年は、担い手不足や少子化といった深刻な地域課題に直面しています。長年こだわり続けてきた高さ8メートル級の運行から、昨夏より小振りな大型ねぷたへと移行したことも、愛好会を存続させ、伝統を守るための「苦渋の決断」でありました。しかし、形を変えようとも、当愛好会が掲げるスローガン【全ては大好きな弘前と子供たちのために!】の精神は揺らぎません。
今年からは子供たちの参加費を無償化し、服装も自由とした「完全自由参加」の取り組みをスタートさせました。今夏の運行でも、参加する子供たちが親から子へ、子から孫へと、代々受け継がれている姿を目の当たりにし、大変感慨深く思っております。かつて子供のころに当愛好会のネプタに参加していた親が、やがて結婚して我が子を連れて戻り、その子がさらに次の世代へとつないでいく――。
まさに「茂森ネプタDNA」が、脈々と受け継がれているのです。「ねぷたの灯を絶対に絶やさない」という茂森町の住民や愛好会の強い覚悟は、300年前から途切れることなく流れる津軽の魂そのものです。
5.
子供たちの育成と地域の目
昨今、子供たちを取り巻く環境は変化していますが、ねぷたまつりには「子供たちを見守る地域の目」を育むという大切な側面があります。まつりには、運行を楽しみにしている子供たちはもちろん、引率する親御さんや地域住民が一堂に会します。ここで子供たちの顔を覚えることで、まつり期間中だけでなく、年間を通して地域全体で子供たちを見守るネットワークが生まれるのです。
昭和の時代、私たちが子供のころには、危険な行動をすると参加している大人から厳しくカミナリが落ちてきたものでした。核家族化が進んで久しい現代だからこそ、ねぷたまつりを通した地域社会の絆が、より一層重要な意味を持っています。
次の10年に向け、今後とも変わらぬご指導とご鞭撻を賜りますようお願い申し上げ、結びの挨拶とさせていただきます。